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大阪朝日新聞記者時代の北村兼子さん(当時22歳)=関西大学年史編纂室提供
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 関西大学(吹田市)で初めての女子学生で、戦前、ジャーナリストとして活躍した故・北村兼子さんに対し、同大学は27日、特別卒業証書を贈呈した。おいの北村高さんが同大千里山キャンパスで受け取った。

 関大が特別卒業証書を贈呈するのは、今回で5人目。終戦後、戦地から復学できなかった留学生ら4人の男子学生に贈られてきたが、女子学生は初めて。

 北村さんは1923(大正12)年、関大法学部法律学科に入学した。当時、女性は大学への正規入学が許されず、聴講生という立場で学んだ。

 入学から2年後、在学中のまま大阪朝日新聞の社会部記者に採用され、福岡や神戸の歓楽街で働きながらの潜入取材などで注目された。

 当時は働く女性への差別意識が強く、複数の男性と関係があるなどとするゴシップ記事が出回ったが、北村さんは自身の著作などで反論した。1927年に朝日新聞退社後は国際ジャーナリストとして活躍。女性参政権の実現に向けた活動も続け、国際会議にも日本代表として参加した。

 道中で航空機に魅せられ、1930年、立川の日本飛行学校に入学し、翌年7月には飛行士の免許を取得した。8月に自ら操縦して渡欧する予定だったが、腹膜炎のため27歳で亡くなった。

 関大が大学昇格100年を迎えた2022年、ちょうど北村さんが聴講生として入学した年から100年目だったこともあり、「志の高さを賞したい」といった声が校友会からあがった。

 高さんは「恐れ多いこと」と何度か辞退してきた。しかし、その後も北村さんの話題は尽きず、「後輩の励みになる」と言葉をかけられ、受けることを決めたという。

 高橋智幸学長から特別卒業証書を受け取った高さんは「兼子も喜んでいると思います。でももし生きていたら、これを受け取らずに改めて大学に入学し直すような気もします」と思いを巡らせた。

 高さんは、祖母や母から兼子さんについて「自分のやりたいことを目標にかかげ、突き進んだ人」と聞いて育ったといい、「好きなことに打ち込める恵まれた家庭環境だったことも大きいが、男性社会の中で懸命に生き抜いた兼子の生き方を知ることが、誰かの力になることがあればうれしい」と話した。

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